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「スピーチ&ディベート」を日本に最初に紹介し、訳をつけたのは、福澤諭吉。スピーチは当時、
小泉信吉が英版原書を携えて諭吉を訪れ、これから日本でも「スピーチュ」が大切と説いたのが始まり。
最初は「演舌」、後に「演説」と直され、同時に「デベート」は「討論」と訳された。(会議弁)
「スピーチ&ディベート」のほかに、慶應のユニークさをあげてみると、中学生の頃から男なら
「ジェントルマン」、女なら「レディ」として「大人」扱いをしてくれたこと。
少し思い出を綴ってみたい。
中等部に入ったのは今から50年以上前。校風は自由で闊達、明るく伸び伸びとしていた。
「先生」は福沢諭吉。それ以外の教師は「さん」付け。中学1年生が年配の教師を
「OOさん」と
違和感無く呼ぶ。なにか大人になったような気がして嬉しかったのを覚えている。
C組の担任は仲井幸二郎さん。知的でユーモアやウイットに富んだ古語の教師。
ある雑誌で東大は「羽織袴」、慶応は「着流し」。そんなことが書いてあったが、
今思い出して見ると着流しが似合いそうな万年青年の風体。洒落ていた。
仲井さんは1年生の最初の授業で ドーデの「最後の授業」を読んでくれた。
そして3年の最後の授業。再び「最後の授業」を読む。聞きながらこの演出、
「しゃれてる...」と、こども心に思った。
高校で世界史を学ぶ。教師は吉野さん。まん丸な渦巻きめがねをかけた碩学。
明治時代の匂いがした。試験は白紙のレポート用紙が一枚。
黒板に「フン族の侵入について」書け。たったそれだけ。ぼくは興奮した。
大学生になったような気がして嬉しかった。 暗記でなくて自分の好きなように答案を書ける。
ぼくにとって最初の小論文だった。 吉野さんは試験の結果を大きな声で、名簿順に「だーっ」と
点数を読み上げる。潔かった。
慶応で勉強を強要されたことは一度も無い。
するかしないかは各自の問題。
只「学問のすすめ」にはこう書いてある。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり」 続きがある。
「されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」と。

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