ベストセラー「国家の品格」藤原正彦著の中にこんなくだりがある。(P4−P5)
“同じアングロサクソンとは言っても、アメリカとはまったく違う国柄だったのです。
そこでは論理などより、慣習や伝統、個人的には誠実さやユーモアの方が重んじられていました。
改革に情熱を燃やす人も少しはいましたが、「胡散臭い人」と見られているように感じました。
紳士たちはそのような人を「ユーモアに欠けた人」などと遠回しに評したりします。イギリスから帰国後、
私の中で論理の地位が大きく低下し、情緒とか形がますます大きくなりました。ここで言う情緒とは、
喜怒哀楽のような誰でも生まれつき持っているものではなく、懐かしさとか、もののあわれといった、
教育によって培われるものです。形とは主に、武士道精神からくる行動基準です“
うーん。やっぱりそうか。ぼくは嬉しくなった。エッセイで何度も書いたミルワード教授の話、即ち
「論理だけでは、人を説得できない。イギリスではユーモアが大切」がここでも裏付けられたからだ。
イギリスではユーモア。それでは日本では論理に優るものは何か。藤原さんはそれを日本人の
「情緒」だといっている。一貫して国語の重要性を説いている。英語を学ぶより国語。
「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に数学」というほど国語教育の重要性を持論にしている。
全く同感。翻って、今のディベート教育を見てみよう。そこではものの見方や考え方、ディベーターの
教養や哲学、ユーモアのセンスを問う「価値ディベート」はX。論題が難しい社会、政治についての
「政策ディベート」は〇というような風潮がある。後者は証拠集めと数字を羅列、論理一辺倒で
「おー 官僚の発表か」と言うようなディベートがもてはやされている。
藤原さんのいう「教育で培われた情緒」「国語力」は殆ど無視されているのだ。
ぼくはこう思う。日本語でディベートをするなら、まず国語力。語彙を増やすことが必要。
読書徹底、作文練習。ディベートの前に「読書と作文」に力を入れる。読書した内容をもとに
「英国式の価値ディベート」。社会では社会問題をテーマにした「米国式の政策ディベート」を
練習したらどうか。ついでに言うと、英語教育は良質な英文や詩句の「丸暗記」と「暗誦」が一番有効。
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