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古代ギリシア、ローマの雄弁家から学ぶ古典教育に根ざしたディベートの長い伝統があります。
ちなみにこの古典教育こそイギリス民主主義の大もとなのです。(続く)」
ミルワード教授が「ディベートのすすめ」英友社の中で述べている文。
エッセイ「英国式ディベート」の頭に抜粋させて頂いたこの文に刺激され、後れ馳せながら
キケロについて、研究を始めた。アンテナを張っていると不思議なもので、偶然にも先月、
交詢社午餐会で
東京大学の本間長世名誉教授が「雄弁について」講演され、なんとその中で
デモステネスとキケロについて言及されたのだ。驚いたことに弁論には発声が必要と教授自ら、
歌舞伎「白浪五人男」の台詞の一部を披露し、音羽屋ばりの節回しに全員拍手喝采。
小泉前首相のせりふじゃないけれど「感動した!」
これはエッセイ「コーチがモデルを見せる」の
イラストにも描いた「月は朧に白魚の・・・」と偶然にも同じ。声には出さなかったが、
教授の口上に合わせて唇を動かしてしまった。
本間教授は講演の中で、岩波文庫「弁論家について」上下 キケロー著はスピーチやディベートを
学ぶ人にとって必読書であると薦められた。避けては通れないこの古典のなかから、ごく一部だが
デモステネスの練習ぶりやキケロが間接的にクラッススの言葉を借りて弁論について述べている
ところを抜粋してみる。
デモステネス(Demosthenes 384?-322BC)
第1巻(61)260 P163
「彼デーモステネースの情熱と努力はそれは偉大なものであって、そもそものはじめ、彼は
もって生まれたハンディキャップを孜々たる勤勉と粒粒辛苦によって克服したと言われているのだ。
デーモステーネスは、自分が研鑽に励んでいるまさにその学術の最初の文字をはっきり
発音できないほど舌足らずな人であったけれども、練習に練習を重ねたあげく、ついには
彼ほど明瞭に発音した者は誰もいないと見なされるまでになったのである。
さらに彼は、肺活量がそれほど大きな人ではなかったにもかかわらず、これは彼の著作を見れば
分かることなのだが、弁論で息を長く続かせ、長い1つの完全文に声の抑揚の個所をそれぞれ
2度も含ませることまでやってのけたのである。
また彼は、口の中に小石をいくつかくわえたまま、大声で何行もの詩句を一気に朗誦する
練習を続けた。しかもそれは、一個所に立ち止まったままでなく、歩きながら、
あるいは、
険しい坂道を登りながらのことだったのである。」
キケロ (Cicero 106-41BC)
第1巻(31)142 P87
「弁論家の活動と能力は5つの要素に分類される、つまり、まず、語るべきことを発見し、次に、
そうしたものを単に規則どおりに並べるだけではなく、重要度に応じてある種の判断も的確に配置、
配列し、
ついで、言論によってそれに装いと飾りを凝らし、さらに、記憶によって固め、最後に、
威厳と優雅さをもって口演すること、の5要素である。
また、こういうこともわたしは聞いて知っていた。本論に入る前に、はじめに聴衆の心を
こちらに引きつけ、その好意を得るようにしなければならない。次いで、事案を陳述し、そのあと、
争点を確定しなければならない。それから、われわれの主張を立証し、その後、
相手方の反論に反駁し、最後に、われわれの有利となる点を拡充し、敷衍して語り、
相手方の有利になる点を薄弱にし、粉砕しなければならない、と。」
これらの文の抜粋から二つのことが言えると思う。
・雄弁家たちは、スピーチとディベートを切り離して練習していない。
・「発声」という基礎練習を大切にしている。
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